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2007/01/13

俊寛の自己犠牲

ずっと書きたいと思っていたことだ。
でも、わたし自身にとってのひとりごと、メモ程度のことでもある。

寿初春大歌舞伎で観た「俊寛」は、実は特別観たい演目ではなかった。
なのに、吉右衛門さんの演技には見事に泣かされた。
泣かされたということは、どこかに共感を覚えたからだと思うのだが、涙のあとにくるものは何やらわりきれないキモチである。

俊寛は、僧ではあるけれど政治的敗者で、謀の共謀者とともに鬼界島に流されている。
数年ののち島に赦免を告げる使者の舟が着くが、赦されて島を出ることのできるのは上意のあった3名のみ。
この島に流されてから島の海女と結ばれた康頼は、妻を伴って島を出ることができない。
島に置いて行かれる海女・千鳥の悲しみをみて、俊寛は自分が島に残り千鳥を舟に乗せることを決意する。
かくてつらい別れののち、はるか海の彼方に去っていく舟を追いつつ島にひとり残される俊寛の嘆きで幕がひかれる。

…美しく感動的な犠牲の精神である。
子供のころ読んだ童話(「クレオ・愛の学校」とかそうだったと思う)にも、そののち映画や小説にも、この手の話は多く見かけられる。
でも!
自己犠牲のうえに他の幸せは成立しないと、それは愛ではないと、私は思うのだ。
考えてもごらんなさい、こうして故郷に妻を連れ帰ることができた康頼は、「これも俊寛のおかげ」とつらい思いで感謝しつつ、「俊寛のためにも幸せにならなければ」と、またつらい思いで決意するであろう。
なにか心の奥に楔がひっかかっているようではないか。
いっぽうの俊寛は、「康頼たちは添い遂げられる」という安堵とふたりの幸福を思う気持ちでいっぱいであろうが、その反面自分は「死んだも同然」な生き方を選んだのだ。
はてしない孤独感、諦め、悲しみとともにただ残りの時間をつぶすのみである。
これでは「俊寛」というひとのカラダに宿った「魂」に、申し訳ないのではないか。
こうして傷ついた魂は、ずっと悲しんで、世をはかなんで、負の影響を周囲に飛ばし続けるんではなかろうか。

古来、日本には、非業の死を遂げたひとを「神」として祀り魂鎮めをするという習慣があるようだ。
またあまたの宗教も、自己犠牲の逸話を多く伝えている。
これがよしとされていたのか、それとも人間のどうしようもない業として語られているのかは良くわからないけれど、私たちは「それは乗り越えられるのではないか」ということを、直感的に知っている。
乗り越えることがとても困難なこともわかっているけれども、可能性があることを知ってしまった以上、その心の状態はなんだか不十分な、わりきれないものとして残るのだ。
そして乗り越えられないまま放置されている悲しい魂にも、共感できるのだ。
ほうっておけない煮え切らなさが、そこには在る。

このようにこの物語には本当にすっきり感がないけれど、そしてまた人間の、そういう「弱さ」を表現したものなのだろうけど、
もっとも興味深いのは、演じる吉右衛門さんがそのあたりをどのように解釈しておられるのかということだ。
おそらく吉右衛門さんも、直感的に「ココロを切り替えれば変わらない状況も乗り越えられる」ということはご存知のはずで(「自己犠牲」というものを時代による違いだけと捉えるのは少々不足なような気がする)、役としてあの感覚を捉えておられるのであれば、ご自分のなかでどのように昇華されているのだろう。
悲嘆にくれる魂を(しかも、自分はその悲しみを越える術をわかっているとしたら)演じるのは、どのような感覚になるのだろう。
それを超えてのお芝居でなければ、あのような芯のとおった、涙を誘うような演技にはならないと思うけれど。

見方がまだまだ浅いのだとは思うけれど、今の私が感じた素直なわりきれなさなので、いちおうメモしておこうと思う。
「俊寛」、きっとまた観てしまうだろうし、観たら泣くかもしれないなぁ。
吉右衛門さん限定かもしれないけど。

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コメント

>SwingingFjisanさん、なんだかすっきりしないのは、ひとつには自分が俊寛を置いていってしまう側にいるからなのかもしれませんね。
3階席から見たあの舞台の転換、本当に見事でした。

砂が海になる場面の素晴らしさは、おくださんが話しておられました。
砂が海に変わるということは、私たち観客の視点も変わるのですね。つまり、最後、私たちは海側から俊寛を見ている・・・(って、新聞に書いてあった)。ということは、私たちも世間側にいて、心を残しながらも俊寛を置いていってしまうのでしょうね。う~ん、こんなに俊寛のことを色々考えたことは今までありませんでした。

>SwingingFjisanさんもひっかかりますか!ひっかかりますよねー!深い考察なんて、トンデモナイ(^o^;;;恥ずかしいです。。。でも、なんだかもやもやして。
吉右衛門さんの「歌舞伎入門」でのお話、貴重な情報をありがとうございます!なんとかしてそのお話、聞いてみたいものです。
最後の、砂が海になるシーンについてもお話されてたんですか。私も3階から観ていたのですが、俊寛が「世間」(=生?)からひとり取り残され、抗えないものに飲み込まれていくようで、その切なさに愕然としました。逆に、自分が俊寛を島に置いて行くみたいな錯覚にもとらわれましたね。
そのあたりのお話も、どんなだったか調べてみたいです。
ほんとうにありがとうございました!

mamiさんのように深い考察は私にはできませんが、私も「俊寛」という演目にはひっかかるものを大いに感じます。吉右衛門さんは、この俊寛について、平成16年のNHK「歌舞伎入門」(3chで土曜日の昼にやっているもの。16年の講師はおくだ健太郎さん)で、ご自分の考えを述べておられました。残念ながら当時は、私自身に「俊寛」および吉右衛門さんへの関心が薄く、内容はまったく覚えておりません。その時に最後の場面(砂が海に変わる)の素晴らしさを知り、それだけが印象に残った程度です。テキストも買っておらず、今にして思えば、非常にもったいないことをしました。テキストのバックナンバー、あるいは放送の録画でもあればいいのですけれど。

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