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2009/07/22

いれものと、その中にはいるもののこと2

観れなかった扉座公演 「新浄瑠璃 百鬼丸」

今月上旬に、紀伊国屋サザンシアターでやっていた、扉座公演。
この演目は再演である。
初演をみたとき、下敷きとなっている手塚治虫さんの「どろろ」のこととか、その演出の組み立ての面白さとか、また大好きな浄瑠璃仕立てであることとか、さまざまな要素が折り重なって、私の扉座観劇史上(こういうとすごいけど…設立のころからけっこう観ているのよ)3本の指に入るくらい、好きな作品となった。
なによりも、(手塚ワールドではこのテーマはかなり語られているけど)「肉体と魂」の表現に、心打たれたのだった。

今回、非常に楽しみにしていたが、わけあって観れなかった。
横内さんのことだから、さらに研ぎ澄まされた表現になっていたのではと、楽しみにしていたのだが、とても残念だった。
なので、今回の公演に思いを馳せつつ、前回(といっても5年くらい前?)の印象から、私の感じた「いれものと、その中にはいるもの」について少し語ろうかと思う。


ご存じ「どろろ」は、父親が天下を取りたい野望と引き換えに、魔物と取引をしたために、体の48の部分を失ったままで生まれてくる「百鬼丸」、そしてひょんなことからそれと出会った「どろろ」が、百鬼丸の失われたからだを求めて旅をする話である。
48の魔物と対決し、それを克服したらからだを取り戻せる、そのための旅である。

マンガの原作ではどろろは可愛らしい子供で、百鬼丸は仮の体のハンサムボーイだったが、舞台ではどろろはいい大人なコソ泥(なんたって演ってるのが山中崇史さんだもんね)、百鬼丸はのっぺらぼうの人形だ。そして影分身のように、「声=魂」役の高橋麻理、「影=肉体」役の累央が登場する。
これが、うまい、と当時の私は唸った。

百鬼丸は最初は肉体がないのだ。
目はガラス玉だし、手足も自由に動かない、口もない、肉の塊みたいな存在なのだ。
でも、「魂」は宿っている。
そして、その「魂」はとても清らかだ。
自分の体を売った父を憎んでもなく、母をひたすら慕い、母に自分の姿を認めてもらうためだけに、肉体を得るべく戦い抜く。
この「魂」に、高橋麻理の澄んだ声がとても似合っていた。

いっぽう、肉体のほうは、ひとつひとつ魔物の壁をクリアしていくごとに、手足を得、目を得て、だんだんと「肉」を持った体でさまざまな事象を感じることに喜びを見出してくる。
本物の手で握った刀の勢い、本物の声で叫んだときの気持ち、本物の目でみた優しい女のひと。
喜びと同時に、肉体をもった故の痛みもだんだんと感じるようになる。

舞台の終盤、ほとんど完全なる肉体を手にした百鬼丸だが、その肉体は喜びよりも、父への憎しみ、母への恨みでいっぱいになってしまう。
肉体を得たからこそ観じてしまった、肉の痛み、現世での生の痛みがそうさせたのだろうか。
いまだきよらかな魂は、必死でそれを止めようとする。が、止められないのだ。

そのころから私は、ずっと「魂」と「肉体」と、その「学び」について考えていたので、これは想像どおりといえどもものすごくショックだった。
肉体は現実のもの、魂は理想郷のもの、と、目の前につきつけられたような気がしたのだ。
魂のままなら、本質的に、そして宇宙の流れのままに、生きられるのか。
肉体をもったなら、その「痛み」でもって、恨みや憎しみといった現実に、のみこまれてしまいそうになるのか。
いやそうでなくするために、人間は「肉体」に「魂」を宿らせて、学びの生涯を送るのではないだろうか。

いろいろなことがぐるぐると廻りめぐって、結局答えがみつからなかった。
今回、新たに観ることで、またその答えに向かえるきっかけになるのかなと思ったが、思いがけずその機会は失われた。
これは、そんなきかっけを与えなくても考え続けることなのだよ、といわれたような気もした。

48という数は、いろいろなところでよく目にする数字だが、人が肉体を脱いで49日目に仏になると言われていることを考えると、その間の48という数を得るために行動している百鬼丸のこの話が、余計にそういうことを象徴していると感じる。
肉体と魂の狭間にいる、「生」をあらためて問いかける、この話(この場にあってはこの舞台)をあらためて、深く観じてしまうのだ。


ちなみに、前回観たときの舞台構成でとても印象に残っていたのが、浄瑠璃に合わせて百鬼丸を乗せた小舟が川を流れていくシーン。(母親に捨てられたのだ)
川はいろいろな感情が流れ込んでいるもののようでおどろおどろしかったし、浄瑠璃の謡が説教節の道行のようで、背負ったものの重さを感じさせていた。コロスの動きも良かった。
この演出、今回もあったのかしら。

そして、前回、多宝丸を茅野さんが演じたのよね。
茅野さん、最近外部演出が忙しくて、扉座の舞台に役者さんとしてはなかなか出てくれなくなっちゃったけど、観たいなあ。
そして、今回は、多宝丸、どなたがやったのかしら。

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コメント

>みゅぅ様、「どろろ」原作とこの舞台は、表現手法がだいぶ違いますが、それぞれに面白いですよhappy01
「どろろ」、ぜひ読んでみてください!

「MW」は私も観てみたいと思っているんです。
こちらは原作も読んでいないんです。
みゅぅさんの感想、ぜひ聞かせてくださいね!

私、「どろろ」の原作も映画もまだ観てないです。
でも、手塚治虫さんの話は奥が深いものが多いのですよね。
「どろろ」ってそういう話なのですね。
面白そうです。
実は、最近「MW」を観ました。
原作が読みたくなり、今探してます。

公演を観れなかったことを、すごく前向きに捉えるmamiさんは、さすがだな~と思いました。

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