本・雑誌

2008/12/02

「『源氏物語』の色辞典」

源氏物語の色辞典Book源氏物語の色辞典

著者:吉岡 幸雄
販売元:紫紅社
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吉岡幸雄さんのセミナーに行ってきました。
吉岡さんは、京都の「染司よしおか」の五代目当主です。「染め」(特に草木染め)というジャンルをとおして、いろいろなデザインやアートディレクションを行ったり、日本人であることを深く見つめるお仕事をしていらっしゃる方。
私は以前、京都にいったとき、「これだ!」と閃いて染司よしおかのお店にお伺いし、お店の方にいろいろお話をお聞きしたことがあります。

今回のお話は、主に「伝統を受け継ぐということ」。ひいては古典や古書物の中に、染めや色に関する記述はたくさんあるそうで、それらを辿り古きを訪ね勉強していらっしゃるということで、千年紀でもある「源氏物語」の記述に例をとり、いろいろなお話をしてくださいました。
様々な帖に現れるかさねの色の多様なこと、さらに登場人物や季節の移り変わりによる「色」の選び方の変化など、これは自分で紐解いても面白そうです。
また、成田空港第二ターミナル・サテライト到着コンコースのアートディレクションもなさったということで、こちらはいわゆる「伝統工芸」を表現し(漆や蒔絵や瓦や竹など)海外から到着した外国人、あるいは海外から帰ってきた日本人を、温かく迎えるための設えを心掛けたということでした。
これを見るためには海外に行かなきゃ!ですが、もし機会のある方、いらしたらぜひコンコースの壁や天井の素材、壁面装飾の漆や瓦にご注目を!

「『源氏物語』の色辞典」は、源氏物語五十四帖全てを読み解き、それぞれの帖に登場する色とその風景背景を、語ったものです。色のことはもちろんですが、源氏物語のストーリーのダイジェストにも触れられます。
私も今日購入してきました。

この本を読むのも楽しみですが、吉岡さんの話を聞くにつけ、自分がインテリアという「今の生活空間」に関わる仕事をし、同時に古典が好きで和物が好き、古典を勉強したり日本画を描いたりしていたという要素が、どんどんつながるようになっているのです。
自分の今後の方向性や深く感じ考えることのヒントをいただき、自分にとってたいへん発展性のあるセミナーとなりました。

★12/11〜16まで、東京の日本橋高島屋8階ギャラリーで、吉岡さんのお仕事の催しがあります。
「千年紀ー源氏物語の色」ー染織家 吉岡幸雄の仕事ー
というものです。
布の色を見たり、色の名前を知るだけでも、とても興味深い展覧会だと思いますので、ぜひ。私も足を運ぶ予定です。


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2008/10/06

「西の魔女が死んだ」

西の魔女が死んだ (新潮文庫)Book西の魔女が死んだ (新潮文庫)

著者:梨木 香歩
販売元:新潮社
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映画化もされていますが、映画は未見。
何の気なしに読んだけど、心に残った。
たまたま昨日も書いていた、「魂と肉体」にまつわる話だ。
感受性の強い主人公の女の子・まいは、いろんな社会のことに疲れて学校にも行けなくなってしまい、おばあちゃんのところで暮らすことになるが、意外にもここで「自分で考え自分で決める」という魔女修行をすることになる。

ここにはいくつもの印象的な事柄が描かれる。
毎日規則正しく生活すること。鶏から卵を毎朝もらってくることで、得られる食べ物に自然と感謝するようになること。魂は肉体をもって初めて学びと成長ができるというおばあちゃんの話。直感を大事にすること。直感を大事にしすぎると執着になるということ。
そして、それらを全部、ひっくるめて、自分で考え自分で決めること。

でもそれは、魔女になることなのかしら?
ほんとの人間らしく、なるってことなのではないかしら?
それを「魔女」といわなきゃならないほど、今の状況がズレているということか。…それは、とても不本意な状況にほかならないなあ。
みんながその「魔女」というやつになったら、それはとてもシアワセな世界になるのにね。


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2008/05/02

「カメ流」

カメ流Bookカメ流

著者:市川 亀治郎
販売元:角川学芸出版
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がきましたよ♪
ご存じ亀治郎さんの、初のフォトエッセイでございますよ♪
たくさんの美しい写真と、亀二郎さんが語る亀治郎について。
舞台のこと大河のこと、幼少時から回りにいらした方々とのこと、親しいお仲間のこと、いろいろな視点からいろいろなシーンが刻まれております。
三響会の三兄弟のことも語られているのが思いがけず嬉しかったり。
意外なことに興味があって、のめりこんでいらしたり。
一気に読んでしまいましたわ。

いろんなエピソードが興味深かったり、ひたすら前向きだったり、なんとも個性的だったりいたしますが、詳しくはやっぱり、この本で、亀治郎さんの文章で感じ取られるのがいちばんですわね。

↑のは「no image」でしたので、表紙だけちょこっと↓
200805022305000
…マイ・マックんと「カメ流」でした。


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2008/04/20

謡う心、舞う心

近藤乾之助 謡う心、舞う心Book近藤乾之助 謡う心、舞う心

著者:藤沢 摩彌子
販売元:集英社
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先日の袴能にて、私のお能鑑賞のこれからを、きっと大きく左右するであろう感銘をいただいた、近藤乾之助さんの聞き書き。
いちばん最初に乾之助さんのお能を(偶然にも)拝見した直後に、この本の存在を知り、さっそく読ませていただいたのでありました。

前半(1/3ほど)に、乾之助さんの様々なエピソードが書かれ、後半はお能一曲一曲に関する乾之助さんの解釈…というか、「おもい」が語られています。
エピソードは、恩師のことやお父様のこと、若い修業時代を共にしたお仲間のこと、大好きな動物たちのことなど、真直ぐなご気性を感じ思わず微笑んでしまいます。
飼っていらしたカメにつけられている名前が「大乃国」「槙原」「平手造酒」など奇想天外(私には)だし、しかもそのカメちゃんはニヒルな感じ…とか(笑)。
また尊敬する師の方に対するお気持ちはいまだ少年のようで、キラキラした憧れの瞳で語っていらっしゃるのかしら、という雰囲気がこちらの気持ちまで楽しくさせてくれます。

お能に関する記述、こちらはとてもわかりやすい言葉で書かれていますので、初心者の私にもわかりやすく読みやすい。
一般に、奥が深く難解で、初心者には難しいといわれている師の芸談ですが、これを読むかぎりそんなことはありません。
尤も、私はあまりに初心者なので、乾之助さんのがわかりにくいなら、ほかのどなたかのがわかりやすいのか、ということ自体わかりませんが(苦笑)。お能を「わかる」ということがわかりませんしねえ。
けれども今後、いろいろな曲を拝見するなかで、このお話がきっと脳裏によみがえり、私のおもいを深くさせてくださる気がいたします。

全体に聞き手の藤沢摩彌子さんの、乾之助さんへの敬愛の念が溢れていて、乾之助さんのお能ひとすじの生き様と、愛に溢れたお人柄とあいまって、とても温かい、有り難い気持ちにさせていただける一冊。
とても大切な一冊です。

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2008/04/13

呼ばれちゃいました

今日の仕事の帰り道に、地下街の広場でやっていた「古本市」。
なにげに立ち寄ってみたら、なんと、あなどれない充実ぶり。
普通、こういう場所でやっているものって、文庫とか漫画とかの古本がほとんどなのですが、ここでは文学全集や、美術書・思想哲学・文芸一般などなど、いわゆる「価値ある古本」が満載だったのですよ!

で、これまたなにげに見ていたら、見つけてしまいましたーshine
「対談 五人の人間国宝にきく 能と狂言の世界」
五人の人間国宝は、
シテ方・宝生流  近藤 乾三
小鼓方・幸流   幸  祥光
太鼓方・今春流  柿本 豊次
狂言方・和泉流  野村 万蔵
ワキ方・下掛り宝生流  松本 謙三
という方々。いずれも明治生まれの方で、私にはまったく馴染みがないのですが、聞き覚えのある「近藤乾三」師は、先日深い感銘を受けた近藤乾之助さんの、お父様ですよ!
パラパラとめくってみると、貴重なお話がいろいろありそうで、楽しみ!
この本は、昭和47年の初版本で、当時千円とありますが、古本市では千五百円で売られてました。
美しい装丁の、ハードカバーの、立派な一冊です。

もう一冊、「能面入門」なる一冊も購入。
これは、演技者である能楽師、能面をつくる作家、そしてその美を享受する観客、三様の立場から語った「能面」の話。
これまたパラパラと見ると、能面の付け方から構造から、基本的なありとあらゆることに始まり、深くは能面に潜む美しさ不思議さ、そのこころ、などが、たくさんのカラー図版とともに語られているもよう。
これまた、楽しみ!
ちなみに、この本は昭和59年刊行のもの。店頭では気付かなかったけれど、帰宅して見たら本の中表紙のところに著者の署名が…あらら、ちょっと貴重…?

そもそも何故古本市になど寄ったのかというと、近年出版されたのにも関わらず絶版になっている「亀井忠雄聞き書き」を探しているからなのです。
気長に探そうと思ていたけど、今日の収穫に刺激され、早く読みたくなって、帰りに図書館で貸し出し予約してきちゃいました。(近所の図書館、夜10時頃まで開いているんですよー!happy01
…というわけで、想定外に「呼ばれちゃった」日だったのでしたbook

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2008/03/07

「きものがたり」

きものがたり (文春文庫)Bookきものがたり (文春文庫)

著者:宮尾 登美子
販売元:文藝春秋
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「きのね」を読んだあと、本屋さんでなんとなく宮尾さんの作品に目がいき、買い求めた一冊。

宮尾さんが実際にお召しになられていたお気に入りの着物のコーディネートがたくさんの写真で紹介されているだけでなく、その着物を着ていったエピソードなど語られていて、それがたいそう興味深い。
たとえば、「きのね」を書くために前田青邨夫人を訪ねたときのこととか、とても緊張して着物を選ばれ、なぜそれにしたかの決意のほどなど読むと、覚悟をきめてあの作品を書かれたのだということが伺い知れる。
ちなみにそのときの選んだものは格子の紬で、初めて会う目上の、それもかなり目利きの方に取材するのに紬(しかも普段着の代表、縞の柄)…とは私の発想にはなかなかなかったが、「お気に入り」であること、「若輩者である自分をそれ以上に見せない」「しっかりお話を伺いますという決意」のもとに選ばれたということ。
はたして、青邨夫人には会うなり「いいお召し物ですこと」とお褒めの言葉をいただいたそうで、これでまず最初のハードルをクリアした気持ちになられたそうだ。

それを選ぶためにどれほど気を砕いたかということが結果となってあらわれることを、おふたかたがよく熟知しておられたのだと思い、また常日頃そういう習慣を身につけていないと、ただあたふたとして的外れなことをしてしまうのだと感じ入る。
着るものも、心遣い、いってみればそのひとの全人格の現れなのだ。

選ばれているきものは、派手過ぎずに華があり、文章を書くひとらしい知的なおくゆかしさもあり、またそのセンスが(大変失礼だけど)とても私好み。
一般的なきものの本とは違い、その方の個性とともに、着るものの選び方が書かれているので、ならば私ならこうかなあ、などと想像が膨らむ。
ただひたすら眺めて、宮尾さんの審美眼やお好みをめでるのもまた楽しかりけり。

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2008/02/27

「きのね」

いまさらながら再読しております。

きのね〈上〉 (新潮文庫)Bookきのね〈上〉 (新潮文庫)


著者:宮尾 登美子

販売元:新潮社
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きのね〈下〉 (新潮文庫)Bookきのね〈下〉 (新潮文庫)


著者:宮尾 登美子

販売元:新潮社
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以前読んだときはさほど歌舞伎を観ていなかったので、めずらしくも興味深くもあったけど、今回読むといろんなことが彷佛として(演目も、お家の特徴役者さんの特徴なんかもね)ますます興味深く読めます。
最近、建築法規関係やらおさまり詳細図面集やらマーケティングやら、なにやら堅い本ばかり読むはめになっていたので、久しぶりに熱中しております。主人公光乃に感情移入してしまう。
小説って、面白いわbook


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2008/01/24

「花よりも花のごとく」

花よりも花の如く 5 (5) (花とゆめCOMICS)Book花よりも花の如く 5 (5) (花とゆめCOMICS)

著者:成田 美名子
販売元:白泉社
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以前、RAG友すぱちゃんから教えてもらって、なかなか読めないでいたお能マンガ。
やっとブックオフで全巻購入。(一冊100円だったなりー♪)
作者の成田美名子さんはその昔、「エイリアン通り」「サイファ」あたりに嵌り込んで読んでいたお気に入りの作家さんですが、ここのところはとんと、ご無沙汰していました。
相変わらず絵が綺麗です。
登場人物も、成田さんらしくユニークで魅力的です。
そしてみんな、「深く考える」よくできた人たちです。
お能についても、ものすごく取材されてるのが伺えます。

能舞台に関していえば、月並みですけどあの空気感、空間の振動波は絵で(しかも漫画というジャンルで)表現するのには限界がありすぎると思います。(これは漫画だからというのではなく、そのものの持っている「特性」が違うということです)
でもその背景にあるサイドストーリー(がこの漫画ではメインストーリーです)はとっても興味深く読めるし、なによりこれを読んでお能に興味を持つようになる方がたくさんいるであろうことが、素敵。
ここに出てきた曲を能楽堂で見てみたいと、素直に思いますもん。
やっぱり、漫画って、身近でとっつきやすいですし、お能はなにやら敷居が高い雰囲気ですものね。
さくさく読めて楽しかったー!
まだお話は続いているので、次の単行本が出るのが楽しみです。


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2007/09/17

「アンジェリーナ」

アンジェリーナ―佐野元春と10の短編 (角川文庫)Bookアンジェリーナ―佐野元春と10の短編 (角川文庫)

著者:小川 洋子
販売元:角川書店
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佐野元春の曲から、小川洋子が連想するストーリーを紡いだ短編集。
「あの歌からこの物語を…」と驚く。
大好きな曲を聴いて物語を妄想するのはだーいすきな私だけど、それはひどくひとりよがりのもので支離滅裂だもの(だから、妄想!)

きっとひとによって、その曲への記憶や風景や情景がそれぞれだろうから、うーむなるほどと、得心するものもあれば、なにこれーと、叫びたいものもあるのかもしれない。
でも、物語を読むと、確かにその歌には、さらにこういうストーリーがあったのかもしれないという気持ちになる。あるいは、その物語の登場人物が、その歌を口ずさんでいるような気が、する。
小川洋子さんの、その歌への思い入れはとっても深いものなのだろうと思う。(プロの作家に対して“思い入れ”というのは失礼かもしれないけど。作品を出版するという時点で、すでに個人的レベルを脱しているのだから)

それは、大好きな歌への憧れもあってか、ファンタジックでちょっとせつなくて、でもそれでいて、すこしだけ、シュールだ。
奥のほうにしまってある佐野元春を、また聴いてみたくなった。

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2007/09/12

「猫の建築家」

猫の建築家 (光文社文庫)Book猫の建築家 (光文社文庫)

著者:森 博嗣
販売元:光文社
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タイトルに惹かれて買った本。
もっと建築よりの話なのかと思ったがそうでもなかった。
猫の建築家、というより猫の哲学者、という印象。(私はね)
時空間を感じ取る心というものが、建築(あるいは空間デザインとか)には必要なんじゃないかと思うけど、もう少し観念的なアプローチに感じられた。
細密画っぽい挿絵も、美しいけれど、想像力をかきたてられるまででは、なかった。
(少なくとも私にとっては。)


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2007/09/11

「しゃべれどもしゃべれども」

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)Bookしゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

著者:佐藤 多佳子
販売元:新潮社
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佐藤多佳子著、新潮文庫。

映画をとっても見たかったのですがとうとう映画館では見れなかったので、原作を読みました。
…いい話じゃないですか。
とても派手とか、ダイナミックさとか、はらはらさせるような展開とか、そういうのはいっさいなく、
日常的なちいさなかけらを、ひとつひとつきちんと紡いで、一遍の小説になっているかんじ。

ストーリーは、いまひとつ伸び悩んでいる中堅どころの落語家のもとに、ひょんなことから「話し方」を習いに集まった「話下手」の面々と、彼等を囲むひとびとの話。
最終的に、中堅落語家は高座でふっきれた噺をすることができ、話下手の面々は「発表会」なるもので成果を披露することになる。

でも、これは落語をうまく話す、という話ではないんだなあ。
落語をとおして、人とコミュニケーションしていく、そのことのむずかしさ、そのことのたいせつさ愛おしさ。
それが不器用ながら少しづつ、少しづつ、伝わってくるのが、とても心に沁みるのだ。
上手いことがよしとされやすい世の中だけど、下手でも努力してみるとか、下手でもなんとか工夫してみるとか、なにかを乗り越えたい、打破したいと思う気持ちが、さいごになにかを伝えるんだな。

佐藤多佳子さんの文章は、訥々としていて、それぞれの登場人物すべてが深く生き生きと描かれていて、誰しもが愛すべき人物に思えた。
普通、こうまで人物像が描かれていると、その人物への作者の愛情(とか思い入れ)が感じられてしまうものだけど、佐藤さんの筆致はあくまで素朴で、そういう押し付けがましさがないのも、良かった。

映画の配役を知ってたので、なんとなくあてはめながら読んでしまったけど、なんか合ってるんじゃない?
やっぱり、映画も見てみたいなぁとあらためて思った。
伊東四郎さんの師匠や、八千草薫さんのおばあちゃんを、見てみたいし。国分くんの「茶の湯」も聞いてみたいしね。

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2007/08/12

「クワイエットルームにようこそ」

クワイエットルームにようこそ (文春文庫)Bookクワイエットルームにようこそ (文春文庫)

著者:松尾 スズキ
販売元:文藝春秋
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松尾スズキ著、文春文庫。

まず出だしのオーバードーズの描写にびっくり仰天、いかに松尾節に慣れてるワタシにしたってここまで免疫ついてなかったわというくらいのシュールさだ。(あとで、これはどんな意味だったのかわかるけど)
もしももしも、松尾スズキを初めて読む場合、なんとしてもここは乗り越えねばならない。
たとえ瀕死の状態でも、笑っちゃわずにいられない、松尾節オンパレードなんだから。

クワイエットルームは、精神病棟のことだけど、なんでか(というか客観的にみて理由は立派にある)そこに入れられちゃった主人公が、まわりのひとをみて、自分をみて、すこし再生していく話。

もともと松尾スズキには、
「生きてる」のと「死んでる」のにほとんど境界線がなかったり
職業がライターなのに「書きたいことがない」のは「書かないと死んじゃう」のと同じようなレベルだったり
「精神が不安定である」ことと「きちんとした社会生活が送れる」ことはほとんど同意義だったり
してるようなとこがあって、
このお話もそんな印象のものだ。
その「紙一重」みたいなとこでみんな必死になっているような。

松尾スズキ自身も以前、「書きたいことがない」という発言をしていたようだけど、私はこの人こそ「書かないと死んじゃうんじゃないか」と思っている。(そこがクドカンと決定的にちがうとこ)
お芝居だって、きっとつらくてつらくて仕方ないんじゃないかと思う反面、お芝居しなかったら死んじゃうんじゃないかなーって。

ところでこの役、内田有紀ちゃんがやるのよね。すごい勇気だなあ。
映画も、ちょっと、観てみたい。

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2007/07/05

「ぶらんこ乗り」

ぶらんこ乗り (新潮文庫)Bookぶらんこ乗り (新潮文庫)

著者:いしい しんじ
販売元:新潮社
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いしいさんの作品は初読。
鋭いリアルがファンタジーのなかに隠されてる。
甘くてとろりとした白いクリームに包まれたケーキの中に
毒が潜んでいるように。
あれこれ、いろいろ、ファンタジックなできごとで埋め尽くされているように見えるけど
その中に見えるたったひとつのことは
「いのちがけでなければ、手はつなげない」こと。
いのちがけでなければ、手はつなげないんだ。
そうなんだ、そうなんだね。

でも、私はこうも思うよ。
いのちがけと思うのは私たちの「顕在意識」でとらえたときで
ほんとはもともと手はつながれているんだろうって。
みんなとつながれているんだろうって。

でも、世の中ほとんど「顕在意識」でやっていってるからさ。
だから甘いクリームで覆いたくなる。
毒がそこにあることも知りながら。
そして毒は最初から毒だったんじゃないってことも
ちゃんと知ってるんだ。

…感想にもならない
でも私にとってはとても大切な感覚をえたというしるし。

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2007/06/11

最近の猫村さん

なんですけど
だんなさまと話してた『大切なものを手放す』というふかーい話と
森コリスちゃんがこれから演技下手を努力でのりこえていくのねーという話が
どこでどう絡まってくるのか楽しみでしかたありません。

ていうか、だんなさまと話したことを、
あれで終わりにしないでおくれー!
とひたすら願うワタクシであります。

猫村さんはココで毎日読めますのよーん。

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2007/05/20

猫村さんがきた

きょうの猫村さん 1Bookきょうの猫村さん 1

著者:ほし よりこ
販売元:マガジンハウス
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「きょうの猫村さん」が我が家にやってきました。
ネットで一日ひとコマだったんだー知りませんでした。
そしてなんだか想像とおりなような…想像以上なような…
この脱力感ゆったりまったり感超スロー感。
なんで鉛筆がきなのー!(笑)
なんであんなに言葉づかいが丁寧なのー?
とっても懐かしいような気分になってしまうではないの。
そしてなんだか、身につまされるのよ。
猫村さんが家にいたら、私毎日反省したり感動したりで泣いてるわー。
あら、なんだか猫村さんとしゃべり方が似てきたわー。

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2007/05/17

「ひな菊の人生」

ひな菊の人生 (幻冬舎文庫)Bookひな菊の人生 (幻冬舎文庫)

著者:吉本 ばなな
販売元:幻冬舎
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昨日は越谷近辺へ、今日は松戸方面へ、仕事で行っていたので、往復の電車に乗っている時間がたくさんあって、本もたくさん読み進んだ。
で、今日はこれを読破。
私の読書時間は、主に移動時間の多少に拘っているみたいな。

昨日の「ブラフマン」にひきつづき、この「ひな菊」も私にとってとても大切な本になった。
この本は吉本ばななさんによる小説の部分と、奈良美智さんによる絵本の部分から成る。
奈良美智さんの絵は、いつも強力に幸せで、同時に強力に寂しい。とってもひとりぼっちで、だけどとってもやさしくあたたかい。
ばななさんの作品もいつもそうなのだ。

そういえば昔、奈落に突き落とされたくらい深く心が沈んだときがあって、長くそのことを話せなかったけど、ときがきて話すようになったら、意外とみんなそれに似た経験をしていて、「なんだそうなんだ」と思ったことがある。
生きたり死んだりするような、究極の経験だけど、それは当然のようにみんなもれなく経験している、という不思議と安堵感と驚きと。
そういういろんなことがあって、みんな生きて、みんな死んでいくんなだぁと、少し客観的な視点が生まれたのだった。

ひな菊も、そんなことを経験し生きていく。ひな菊のまわりには、そんなことを経験して死んでいくひともいる。
そうやって生きていく、ということがなんだかとても穏やかなものに感じられたのだ。
それで私はとても「ありがとう」の気持ちに満ちてきたのだったよ。

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2007/05/16

「ブラフマンの埋葬」

ブラフマンの埋葬 (講談社文庫)Bookブラフマンの埋葬 (講談社文庫)

著者:小川 洋子
販売元:講談社
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ずっと「時間が止まっている」ような感じだった。
いろんな登場人物が出てくるけれども、みんなの「今」しか描かれていない。
名前もないしどこから来たのか、どこへ行くのかわからない。
そうしたことをわかっているということで、日常私たちが何かしら安心感を得ているのだとあらためてわかったり、した。
それらがわかっていないと、「今」が語られていても「止まって」感じられる、みたいだ。

「ブラフマン」だけは名前がついているけど、
そしてけがをしていて治って、やんちゃして躾けられて、「僕」が話している間「僕」をずぅっとまっすぐ見つめて、そして死んでしまうという、時間が流れているけど、
どんな姿なのか最後まではっきりと想像できなかった。
小型の犬みたいなんだけど、手のひら(?)には水かきがついていて、それは美しく泳いで、全然鳴かなくて、太くて長いしっぽを持っていて、ときどき眉間にしわを寄せる。
こんなに描写されているのに、妄想好きの私は想像できなかった。
十分な描写がされているのにイメージが結べないと、摑みどころがなくてフワフワしてしまう、みたいだ。

かくてこの本を、私は時が移らないまま、フワフワしたまま、読み終わってしまって、なんともしがたい感覚でいる。ところがなんだか、ほろっとした感情になっているのも摩訶不思議である。内容はよく覚えていないけどなんだかゆったりと夢をみていた、そんな気分なのだ。とおくに、キラキラゆらゆらした景色が見えている感じ。

ところで「ブラフマン」とは作中、サンスクリット語(?定かではないらしいけど)で「謎」という意味だと説明されている。また、解説には「ヒンドゥー教の超越的な宇宙原理」とある。
「いま」しか描かれてないこの小説だけど、「いま」にはぜんぶ含まれていて、その先も、そのあとも、意識にわざわざのぼらせることもないのかなぁと、思う。それがどんなかたちなのか、どんな存在なのかは、わざわざ健在意識で語ることもないのかなぁ、とも思う。意識にのぼらなければそれらは存在しない、という類いのものではなくて、もっと本質的なものなんだと思う。
「ブラフマン」というなまえが、いきものが、とても好きになった。


余談だけれど、この本になぜ出会ったのかというと、
最初は違う本めあてで本やさんに立ち寄ったのだ。
よくお邪魔しているカビリアさんのブログで「猫村さん」が面白いと書かれてた。軽く読めて内容は深い、って。
出先でふとそれを思い出して、読んでみたいなぁと思って、本やさんに入ったのはいいけどー。
私は「猫村さん」という情報しか知らなかった。
作者は、わからない。タイトルは…「となりの猫村さん」だったっけかな、なんだっけ。。
結局見つからず、店員さんに聞く時間もなく、目についた「ブラフマン」を買って出たのだった。

帰ってきてから調べたら、「きょうの猫村さん」というタイトルで、コミックだった。(果たしてこれで正解なのかな?)
てっきり小説だとばかり…(^-^; 。うろ覚えでは動いてはなりません。
ま、「ブラフマン」にはそんなきっかけでお会いできた本なのだった。これにはこれで、心から感謝。感謝。

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2007/04/28

「林望が能を読む」

ご存じ、林望さんの著作です。
これ、実は随分前に買っていて、その頃はお能をほとんど観ていなかったので、ちょっとさわり程度に、みたいな感覚だったのですね。
ところが読みはじめたら、ただ読むものじゃないなと思いました。
この本では全部で85曲の能についてを語っているのですがなんかね、内容がつまらないのでは決してなくて、舞台の上に乗るものって、先にこういうの読んじゃうってことがつまらないじゃないですか。
自分の感性じゃなくて人のに引っ張られるっていうかね。
たいした視点ではないけど、私は自分が観じたことを大事にしたいものですから。
それにやっぱり観なければなにがなんだか(笑)。
ってことで、しばらく本棚で眠っていました。

ですが、先日「隅田川」を観たあとにそこのところだけ読んでみました。で、昨秋「三響会」で観た「安達原」のところも。
そしたら、面白いんですね。
自分が感じたことと同じことを林さんも感じている、でももっと表現がうまくてもっと見方が深いなぁとか、へえそんなきまりやいきさつがあってのあの表現なのかとか、そんな見方私はしてなかったなぁなるほどなぁ、とか。
この方は学者さんですけど、能楽の関係者じゃないとこがいいのでしょうかね、自由に感性で観て、切り込んで、鋭い。日本文学に関する知識もとても深いので、なにがどこに共鳴しているかとか、そういうことがすぐにわかってしまわれるのでしょうね。
一曲に関する文章はとても短いのですが、視点が鋭くて興味深い洞察をされています。
私は五月には「鐵輪」「乱」など何本か観る予定なので、観終わったらまたそこを読むのが楽しみです。

お能の技法とか詞章とかについてを詳しく知りたい場合は、ほかの本のほうが良いでしょうし、そういうのは観る前に読んでおくのがとても役に立つかと思われます。

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2007/02/08

お出会いあそばせ

私は外に出るときは必ず文庫を2冊は持って出る。
移動中とかちょっと時間があいたときにそれを読むのが楽しみで、机の上には、そのための本たちが順番を待って積まれている。
この山は、楽しみの山である。

今日も出かけるときに、あわただしくその山から“今日電車の中で読む”予定にしていた本を掴む。
今日は吉本ばなな。
この前本屋に寄ったとき新しく文庫になっていたのを発見したのだ。

いつものように面白く、サクサク読める。
へぇ、吉本ばななにしてはめずらしい作風。こんなのも書くのかー。
と思いサクサク。
なんか、感性がいつもと違うなぁ。いつごろ書いた作品なんだろ。
サクサクサク。
なんか違うよーこういう精神状態のときもあったのー?

と、なにげにあとがきを見たら。

「川上弘美」


ちょっとちょっと!…タイトルからちゃんと読もうよ!
おかげで電車の中でひとり爆笑をかみ殺し…あー苦しかったっ!

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2007/02/01

「古寺を巡る・法隆寺」

梅原猛など(いまごろになって)一生懸命読んでいるので、法隆寺が気になってしかたない。
そしたら、折しもよくあるウィークリーブックの企画で「古寺」シリーズが創刊され、その第一号が「法隆寺」(しかも創刊号特別価格190円!)というので、買ってしまいました。…というほどの値段ではありませんね(笑)。

ざっとみたところ、いちおう通り一遍の法隆寺に関する歴史や文化的価値、聖徳太子のことなどが記事として書かれていて、復習にはちょうどよいかも。
でもなにより写真が大きいのがありがたい!(ほとんどビジュアルブックの体裁)
仏像も建築物も、図鑑の写真のようだけど、細部までわかりやすく撮れていてとってもわかりやすい。
いろんな本を読んでも、ビジュアル面ではなかなか想像ができなかったので、手もとにこういう本を置いておけるのは手軽だし便利です。

このシリーズは五十巻の構成で、週刊の発刊なので、約1年かけて完成することになるのですが、巻末には仏教用語や仏像の様式の解説などの連載もあって、それも面白そうです。
2巻からは一冊580円ということですが(これはちょっと割高感がある!)、全巻揃ったらちょっとした資料になるしお寺好きな方には良さそうですね。
私も興味のあるお寺の時だけ買うことにしようかな。
とはいっても、週刊誌の形態なので、ついうっかり買い忘れそうですが(笑)。

それにしても、この時代の仏像というのは、じつに生命力を感じさせる力強さと、柔和な繊細さを合わせ持つ表情で、後世のもう少し装飾性をおびてくる仏像たちとは全く違いますね。
そのおおらかな正直さは、なんとなく好きです。

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2007/01/16

なんだ礼央化

なんだ礼央化―ダ・ヴィンチ版 (ダ・ヴィンチブックス)Bookなんだ礼央化―ダ・ヴィンチ版 (ダ・ヴィンチブックス)

著者:土屋 礼央
販売元:メディアファクトリー
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「なんだ礼央化」が届きました。
ちょっと読んでみました。といってもWEBダ・ヴィンチで連載していたものなのでだいたいは知っています。
なので最後の、お父様との対談を読みました。

礼央さんのお父様は、有名な日本画家、土屋禮一さんです。
かくいう私も、かつて(究極に趣味レベルで)日本画を描いていたときがあり、土屋禮一さんの作品もたびたび見ていましたが、ことに龍の絵などはとても心に残るものでした。
どこぞの高名なお寺の襖絵なども描かれていたと思います。

で、礼央さんはRAG FAIRというアカペラバンド、ズボンドズボンというバンドでヴォーカル作詞作曲をやっているひとです。
とてもへんなひとです。でも私は大好きなんですが。
論旨の組み立てとか発想とかだじゃれとか、へんだけど好きです。
礼央さんの曲も声もこれは文句なしにとても好きです。でもへんなひとです。

お仕事の側面からみると、どうもこのお二人が親子だと、なかなか結びつかないでいたのですが
お父様がご自分のアトリエに「各与亭」(=描く予定。いつになることやらという意味らしい)と名付けていらっしゃるという話を読み。
…親子だ…。
と思いました。
これだけで「なんだ礼央化」買ってよかった。
と思いました。
あはは。。。

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2007/01/10

「隠された十字架」

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)Book隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

著者:梅原 猛
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

(梅原猛著)を読んでいます。
すっごい面白い。
どんなものかというと、奈良の法隆寺の謎を掘り下げるという論文です。
ひいては聖徳太子の謎にも迫るという。

で、脱線して漫画の「日出処の天子」(山岸涼子・聖徳太子のお話)もあらためて読んでます。
以前こちらに足を運んでくださってるお友達(と呼んでいいですか?カビリアさーん)が教えてくださったのですが、山岸さんは「隠された十字架」にインスパイアされて「日出…」を描いたのだそうです。

で、これがまた並べて読むと面白いのですよ。
梅原猛の視点も卓越しているし、山岸涼子もすっとんでいますよ。なぜあのような発想が沸き上がるのでしょう。

「隠された…」はもう三十年以上も前に書かれているものなので、現在新たな視点が生まれているのかいないのかは、また知りたいところではあるけれど、
とりあえずこの時点での見解はたいへん興味深く、なにより私は「法隆寺」に関する知識に浅く、そんなに謎があるとは知らなかったわけで、
そう考えると寺院建築の伽藍配置とかそれに隠された意図とかというのは、掘り下げるといろいろな解釈が成り立つのだということを知っただけでも収穫でした。
(すべての様式、デザインには意図も意識もあるという、いってみればあたりまえのこと)
このことは、当時の日本人が「神仏」に対してどのような存在として捉えていたかを知る手がかりであり、私にとってはその辺りがイチバン興味深いのであり。

…というわけで、まだ途中ですが、そしてメモを書いた付箋を貼りながらでないと論旨がなかなかつかめず、電車の中で気軽に読めるという感じではないのですが(とはいえ座れたら直ちにポストイットとペンを取り出して読み耽るワタシ)
とにかく面白ーい!
上代(古事記とか万葉集とかのころのことね)文学に、また嵌りそうです。

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2006/12/17

古いノート

昔、高校生くらいのときに使っていたノートが、出てきた。
本やお芝居や歌や、ひとがいったこととかで、気に入った言葉をかきとめておいたものだ。
ちょっと懐かしくてページをめくってみると、けっこうたくさん書いてある。

驚いたことに、そのほとんどをどういうキモチで書いたか覚えているし、
いま読んでみても、けっこういい言葉ばかりで、
「アオい言葉に感動しちゃってて、やーねぇもう!(照)」なんてものがほとんど、なかった。
いまでも相当、感動できる。
(私が成長してないだけかなあ。。うーむ)

そのなかのひとつ。

「あしひきの 山のしづくに 妹まつと
 われたちぬれぬ 山のしづくに」(大津皇子)
「吾をまつと 君がぬれけむ あしひきの
 山のしづくに ならましものを」(石川郎女)
     (万葉集巻二、相聞107,108)

万葉集の頃って、こういう情熱的な恋のうたが多くて、好きだなぁ。
でもね、こういう古語で語られると、現代人の私には
理解するのにワンクッションあるので、ちょっとおくゆかしくなって
またいいの。ふふ。
この相聞、いまも好きだなぁ。

それにしても、よく書き写したこと。
今ならゼッタイ、手書きなどありえませんね。
いっぽう、この日記を書いてる今、「皇子」とか「郎女」とか「相聞」でさえ
読みのままには変換されて出てこないことにイラッ。
日本語辞書、ボキャブラリー増やそうよ!

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2006/12/16

「デッドエンドの思い出」

デッドエンドの思い出 (文春文庫)Bookデッドエンドの思い出 (文春文庫)

著者:よしもと ばなな
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

5つの短編集である。
これを読んでいる間、私はずっと、私がいちばんつらかったときのことを思い出していた。
(それは、いまではないけど、今までに何度かあるし、いまもそうなんじゃないかと感じるときさえある)

つらくて、でも現実は見なきゃとおもってできるかぎりプレーンに公平に考えようとしたり、
自分の黒い暗いところを見ようとしたら、ものすごい深くてどろどろした沼みたいで、そこに滞っているものをてのひらで一生懸命すくって、うんと上のほうにある光と底の底のところにもある光を、つなげようと必死だったり、
現実というものがねじれているのか、自分がねじれているのかわからなくなってクラクラしたり、
いろんな、いろんなことがあったけど、

それでも自分にも他人にも、そこにもここにも、いつでもどこにでも愛情がそそがれているのだと
感じたり。

そうやって、自分が、ふらふら、ふらふらしていたときのキモチを、
1ミリの差でガラリと変わってしまうような危機感のあるバランスを見事にたもって、やさしいことばで、自然な日常で、ものすごく上手に、沁み入るような感覚で、シアワセな方向に向かって書いてくれた。
そんなふうに思える、短編たちだった。

…そうか、こういうふうにバランスをとっていけば、どんな中にもシアワセがあることが発見できるのね。
そう思って、同じようにしようとしても、このお話を読んでるあいだの、お話の中でしかそのバランスはつくり出せない(少なくとも、私には)。
そんな、ものすごく微妙な繊細な、バランスのつみかさねみたいな、
このうえないほんのりシアワセかげんの、短編たちだった。
すごいなぁと思った。。。ばななさん、ありがとう。

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2006/12/04

「神仏のまねき」

梅原猛「神と仏」対論集 第三巻 神仏のまねき (梅原猛「神と仏」対論集)Book梅原猛「神と仏」対論集 第三巻 神仏のまねき (梅原猛「神と仏」対論集)

著者:梅原 猛,市川 亀治郎
販売元:角川学芸出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

いっかい読みました、面白くて面白くて一気に読んでしまいましたが、これはもういちど読まねばなりません。
なぜかというと
私はいままで、梅原猛という方の著作をほとんど読んだことがなかったのですが、それをいたく後悔しました。
正直いってあまり興味がありませんでした。
折口信夫や池田弥三郎を読んでいても、なぜかつながらなかった。
母が大好きで、滔々と感激のほどを語られたスーパー歌舞伎にも、ついぞ触手が動かなんだ。
だから、一度も「ヤマトタケル」も「オグリ」も観たことがありません。。。

「神仏のまねき」は、対談集です。
私が今回読んだのは、歌舞伎役者・市川亀治郎さんとの対談で、
「芸能」の視点から「神仏を降らせること」やその「儀礼」「様式」などについてを語っています。
もちろん猿之助さんのスーパー歌舞伎の立役者の視点から「これからの」歌舞伎についても語っている。
話は記紀神話やアイヌの神話にも及んでおり、その脚注や、ところどころに入っているコラムもおもしろいことこの上なし。
…なんですが、これらを読まなくては気がすまなくなってしまうではありませんかー!
少なくとも、「水底の歌」「隠された十字架」を読まなくてはー!
それから、「古事記」も、おさらいしなくっちゃ。。。
と、なんだか課題をたくさんいただいた感じになってしまいました。
でも、こういうことで、読みたい本が増えるのは、とっても、楽しい!嬉しい!大歓迎です。
そして、それらを読んだらもう一度、この「神仏のまねき」を読んでみたい。
いままでの自分が、中途半端に知っていたことと、まったく知らなかったことを、整理して、あらためて取り組んでみたい。
…そんなふうに思わせてくれる、非常に心沸き立つ、エキサイティングな内容でした。

そして、単なる歌舞伎ファンとしてひとこと、ならば。
亀治郎さんの「柿本人麻呂」を ぜひぜひ実現させてほしいです。
人麻呂も、歌もその生涯(諸説ありますが…)も、とても惹かれる人物でありますので。
亀治郎さんにとても似合うと思いますので。
梅原さん!がんばって、はやく書いてください〜!(懇願)

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2006/11/18

読書の晩秋?

さいきん調子にのってついつい買ってしまった本たちを、乱読しております。
ぜーんぶ、読みたくて買った本だから、早く読みたくて読みたくて。
でもじっさい時間があまり取れないので、なかなか読みすすみません。ぐっすん。

そんななか、おいうちをかけるように、頼んでいた「神仏のまねき」が届きました。
これまた、面白そうなんですよー目次を見ただけで、「ワザヲギ」とか「神降る場」とか興味深い言葉がいっぱい!
私はもともと「芸能」が好きで、説教節なんかにも嵌ってたことがあるし、卒論も文学の起源として「天岩戸伝説」「神語歌」などの芸能起源にあたるものを素材にして書いてたりして。
ま、これは「試論の試論の、そのまた試論」と担当教授に言われたくらい浅くて、そしてこの分野のことはとてつもなく深いのですが。

ただ、この本の著者梅原猛さんのものはあまり読んだことがありませんでした。
ですが、この本、実は共著が亀治郎さん。
なので梅原さんに触手をのばしたというわけです。
でも、すでに第3弾となるこのシリーズ、すでに刊行されているものには中沢新一さんとか河合雅雄さんとの共著のものもあったりして、これまた興味津々です。
なにかひとつの石が水に投じられると、どんどん波紋が拡がっていくことが、また楽しいことですね。
読んでおもしろい発見があったら、感想を書こうかな、と思います。そのうちに。

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2006/11/02

本の誘惑?

数回目のプレゼンを終え、まだまだやることは山積しているものの、全体的に少しめどがたってきました。
ので、帰りがけにブラブラ。
以前から靴を買おうと思ってて、一目見ていいのがあったので即購入。
私の足に合わせるために、型をのばしたり敷き皮をしいたり、に小一時間かかるというので本屋さんに行く。
そしたらつい…。

ブラブラしてたら必ず目に飛び込んでくる本があるのよ必ず。
背表紙が盛り上がって見えるの!ホントだって。
さいきん歌舞伎に嵌り出したせいで、歌舞伎はもちろん古典芸能とか神話とか民俗とかにまた興味がひかれているので、そういうものについ目がいってしまって。
で、なんだか梅原猛とか中沢新一とか吉本隆明とか。
ほかに前から読みたかった香川照之の映画の話とか。
歌舞伎に関してのものとか。
建築・デザインの雑誌とか。
いつの間にか何冊も抱えていて、さすがに重いしお金かかるしいちどにこんな読まないしと思って3冊に絞りました。
移動中くらいしか読む時間がとれないのですが、ぼちぼち読もうと思います。
並行してきっと、小説とかまんがとか、読むんですよね。

ちょっと時間があいて、本屋さんとか図書館に行ったりすると、ついつい何冊も抱えて帰ってくる私。
(図書館のときなんて、それはスゴイ)
だって、本が語りかけてくるんですもん!
おかげで今日も荷物がとっても重くなりましたが、本を選んでいるときって、とってもシアワセです。

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2006/10/31

「水からの伝言」

先日、水がマイブームであるという記事をエントリーしたところ、他ブログさんから「水は答えを知っている」という本を、教えていただきました。
これは、言霊とか周囲の感情の波動が、どれだけ水に影響を与えているかということを、水の結晶の写真で紹介してくれているものだそうです。
私も数年前に(たぶん)同じシリーズの「水からの伝言」という本を読んでいまして、とても興味深い事実が紹介されているので、それについて少し。

すべてのものは分子そして電子、中性子といった元素から成り立っていますが、そのひとつひとつにはいわば「心」のようなものがあり、周囲の波動によって影響を受け合うということなのですが、
その研究のひとつとして、水に結晶に見られる感情を紹介しているのがこの本です。

どういう内容なのかといいますと、
もともと、あるがままの姿の水の結晶は、美しい六角形をしている。(雪の結晶のようです)
ところが、環境汚染や人間の負の感情によって、そのかたちが著しく変形する。
ということなのです。
じっさい、たとえば「バカ」という言葉を毎日かけたり、そう書いた紙を貼った器に入っている水は、なんだかおどろおどろしい形の結晶になっています。
ひどい状況になると、結晶化さえできなくなります。
ところが、「ありがとう」と書かれた器の水は、キレイな六角形を構成するのです。

これは、水自身の成分に汚れがあるとか、本来あるべきでない異物が入っているとか、というレベルの問題ではありません。
そういった周囲の波動、振動派によって、あるがままの状態でいられるかどうかを分子電子レベルで影響を受けるということなのです。
信じられないことかもしれませんが、いくつもの結晶の写真が、否応もなくそれが事実だと語りかけています。

よく、植物にも「お花が咲いてキレイね」とか「今日は元気ね」などと話しかけながら育てるといいって、いいますよね。
動物や植物でなくても、水とか石のような鉱物も、同じなのですよね。
本をご紹介くださったブログマスターさん(千点写行のedaatsさんです)も書かれていましたが、私たちの体はほとんど水でできています。
純度の高い水(それは浄水器で除去できるものだけではなくて)を、カラダにとりこむことができれば、自分自身も少しづつ純度が高まって、「あるがままの」キレイな自分でいられるのではと思います。

ちなみに、私はいつも、水だけでなくて食べ物にも、「あるがまま」になっていただけるよう「ありがとう」の言葉をかけてからいただいています。
昔から言われている、「食べ物への感謝」とは、こんなところにあったのですね。
いつも自然に、感謝していたら、自分も世の中も、とてもキレイになると思うのですが。

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2006/10/20

「薬指の標本」

先日読んだ「博士の愛した数式」が良かったので、小川洋子さんの作品を立て続けに読む。
まだ数作だけれども、「博士…」だけを読んだときは、このひとはしみじみと心に沁み入るようなあたたかい優しいものを書くひとなのかと思っていた。
たしかにそれは作風として歴然とあるのだけれど、もうちょっとシュールさがあった。

シュール、というのは不的確だろうか。
シチュエーションが独特というか、現実にはありえないでしょ、というところがあるのだ。
じっさい「薬指…」だって、思いや思い出を封じ込めたいひとのために標本をつくる男から、離れられなくなってしまった「わたし」の話だ。

標本は、本来大切に保管しておきたいもので、封印してそこから離れたいためのものではないだろう。
そういう性質の「標本」が、どんどん増えてゆく環境に我が身を置くというのはどんなだろう。
また自分が封印したかったものを、大切に管理してくれているひとがいるという、安心感というものはなにものだろう。
愛してしまって、そのひとの標本になりたいと思ってしまうのは健全なことではないんじゃないか。

妙にざわざわしながら、同時に妙に肌に馴染んでしまう感覚がある。
捨てていきたいのに大事にとっておきたい。
失われたと思ったものは見方を変えればちゃんと存在している。
そんな、相反すると思われる感覚が実は同時にしっかり存在しうることがわかる。
ざわざわの中でほんの少しの柔らかいファーにふれているような安心感が持てるような、あやういバランス感覚の作品だった。

フランスで、映画化されたというこの作品、なるほどフランス人が好きそうだ。

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2006/10/09

素数の女

「博士の愛した数式」を読んだ。
こんなふうに、最前の流行からは遅れる女でもある。
映画もまだ観てはいないが、キャスティングは知っているので、博士に褒められて嬉しそうな深津っちゃんのキラキラした笑顔とか、寺尾聡さんのあたたかいシャイな表情とか、自分で勝手に脳内映像をどんどん撮り続けつつ。

数学は、もうほとんど忘却の彼方で、作中私にもすぐにわかるのは「素数」くらいのものだった。
でも、誕生日から友愛数が導き出されたり、野球選手の背番号が完全数だったり、数字にも数式にもロマンやインスピレーションがあることを知りとても魅力的に感じられ。
縁のある数字にはなにか意味があるんだろうなぁと思い。
身のまわりの数字はなにかにあてはまらないかと、作品を読むと同時にアタマの中ではゲームが始まっていた。

私の誕生日、5月23日。
5も23も「素数」だ。
靴のサイズ。23。
私のラッキー・ナンバー。29。
これは自分で勝手に決めたもの。以前、とても大切なオブジェをふたつ購入したとき、そのシリアルナンバーが、両方とも29だった。末尾が9って、なんだかなーと思っていたけど、せっかくこの数字が自分のところにやってきたのだから、ラッキーナンバーにしよう!と決めたら「ふく」(福)と読めた。
これも素数。
私の出自である家族は、父が7月17日生まれ。母は1月23日。弟2月23日。
ぜんぶ素数じゃん!(1を除いて…)
こんなに自分が素数に囲まれていたなんて、新たな発見だった。

ちなみに、読んだあとに映画版を観たくなってDVDを借りたそのなかで、素数は「何も加えない、素直な自分」と説明されていた。
あるがままの素直な自分。私も、そんなふうでいたいと心から思う。

ところで作品は、どこまでも心の中で続く「直線」のように素直にしみとおり、「0」の感覚のように平らかに静かに豊かにちょっとせつなく、ひたひたと寄せてきて、そのうち溢れるような宇宙に膨らんでいった。

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2006/10/02

愛しいねえ

発見した本屋さんに頼んでいた「ブルータス」水族館号が、きました。
入荷した連絡をいただいたので、毎日仕事で遅くなる私は(いつとりに行けるかなと思い)営業時間をたずねたら、11時までやってるということで。
ありがたーい!
っていうことで、11時前に駆け込んで、とってきましたー(^-^)

おまけのDVDはまだ開封もしてないんですが(さすがにそこまで時間がない…)先日美容院で見たときには発見できなかった写真に、いたく心を奪われました。
ニュージーランドに住む「イエローアイドペンギン」という、絶滅の危機に瀕しているというペンギンの写真なのですが、
かなり遠くから撮影してるんだろうと思われるその海辺のシーンに、ちいさなペンギンがひとりだけ、写っているのです。
しかも、ひとりでぽつぽつと歩いているらしく、前に出た片方の足は宙に浮いてるその瞬間を、きりとっているのです。

私はいままでペンギンというと、集団でかたまっている写真しか見たことがなくて、たったひとりで海から上がって来たこのペンギンの写真に、びっくりしました。
解説文には、「夕暮れ時に一羽ずつあがってくる。用心深く周囲を何度も確認しながら…」とあります。
そんなに用心深くて臆病なのに、なぜ絶滅寸前なのかというと、ひとつには森林伐採、もうひとつには海を渡ってやってきた犬や猫に襲われることが主な原因らしいのです。
もともと住んでいたところをおわれ、もともとはそこの地域にはいなかった外来の天敵におわれているのです。

それでも、なんとか、ほそぼそと、がんばってきたんだろうなぁ。
この写真を撮影したカメラマンさんは、そういう状況をもちろんわかって撮影されているのでしょう。
写真からは、ひとりでがんばっていて、でも多くの危険にさらされているペンギンを、遠くから愛しさとはがゆさで見つめている雰囲気がみてとれて、そこに私は惹かれたのでした。

絶滅していくというのは、それなりの、自然の流れや必然性というものもあるとは思いますが(それは人間も含めてです)その原因に、人間が大きく関与しているのであれば、それは自然のしくみにかなっていないという側面もありますよね。
だからといって、○○を守ろうー!などと大手をふって活動するようなことも too much な感じでいまひとつピンときませんが、ひとりひとり自覚をもって気をつけなきゃいけないな、とは思います。
ほんとうは、あたりまえのことなのに「気をつけ」なければできないくらい、自然のしくみにかなわない生活を、私達はしてきちゃったんだなぁと、思います。
動物にも、植物にも、石や砂だって、「愛しい」と思って接したら、そんなふうにはならないんだろうになぁ。

などと、この一枚の写真をみて、おもいました。
美しい、いい写真でした。

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2006/09/16

水族館へ行こう!

ふと時間があいたので、ずっと行きたかった美容院へ。
もう、担当Mさんに笑われるくらい、のびきってましたの。
そこでまたもや「ブルータス」に嵌る。
前回は「動物園」特集(?なのかな?)に嵌りバックナンバーを購入したワタクシでしたが、今回は「水族館」ですよ。
「ディープブルー」と「ホワイトプラネット」のダイジェスト版DVDもおまけでついてくるなんて、お買得!
かの動物園特集号は早々にSOLD OUTになってたので、ブルータスったら味しめたのねー。
まんまとそれに引っかかるワタクシですが。

なにが楽しいって、アザラシとかジュゴンとかの、正面から撮影されてるお顔の面白いことこのうえなし。赤塚不二男さんのマンガに出てきそう。か わ い い ー 。
深海魚も興味深し。ニョロニョロみたいなのとかエイリアンみたいのとか「遊星からの物体X」みたいだったりとか。
こういうのも水族館で見れるのか!と思ったら、
行きたい行きたいいきたいよーう。
そういえば、秋になったら江ノ島の水族館に行こうかって話があったなぁ。実現させよう!そうしよう!

というわけで動物園や水族館やプラネタリウムに、激烈に行きたい今日このごろ。
しばらくは寝る間もないほどのお仕事のつまりぐあいなので、、、すが!
合間をみつけてぜひ行こうかと思います。
行く!行く!と思えば行けるのだー(笑)
ちなみにブルータスはまた、購入しそうです。あははー。

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2006/08/30

べっこうあめ

最近、素敵なかたからいただいた著作「香具師」という本を読んでいる。
実際に香具師のひとたちに会って、話をきいて、それをまとめているのだけれど、足であつめたことほど、チカラを持っているものはないんだなぁと思う。
この本の内容もそうだし、内容のもとネタもそうなのだから、ものすごく地に足のついたエネルギーで迫ってきて、いちいち納得させられてしまうことばかり。
そして、足であつめたことたちを整理して、組み立てて、その様式やスピリットなんかを割り出していく所業も、とても楽しそうだけどやはり並の観察眼や分析力ではできないことだと感心してしまう。

小さい頃、私のまわりにも、お祭りでなくても(いまおもえば)香具師のおじさんが、いた。
小学校の校門の前に、下校時刻になるといつも、べっこうあめを売るおじさんが、いた。
ふつうに売ってくれるべっこうあめは、鉄板の上で大きく平たくのばして、人気のアニメキャラなんかの型押しをしたものなんだけど、その他にちいさく飴をのばして、わりと簡単な絵柄の型押しをしたのもつくってあって、
「この絵のまわりについてる、余分な飴をキレイに取って、この絵だけの飴にしたら、大きい飴をあげるよ」
というので、(カンタンそうに見えるし)みんなモチロン挑戦する。
でも、かなり用心深くまわりの飴を取ろうとしても、どこかでいきなりぱりんと割れてしまって、いつも、誰も、うまくいかなかった。
タダでもらって食べようと思っていたから、もらえないとなると急に欲しくなり、お小遣いをはたいて(といっても何十円、だったと思う)買ってしまうのだ。
「おじさん、うまく割れないの、わかってるんじゃん、ずるいなぁ」などと悪態をついても、おじさんはにやにやしながら、型押ししたのとは全然ちがう、龍とか鶴とかのかたちをした、見事な飴細工をつくるものだから、悪態も忘れてみとれてしまう。
おじさんは子供たちのキモチの、どこをつけば面白がるのか、寄ってくるのか、お小遣いを使うのか、よーくわかってたんだろうなぁ。

なんとなく、こわそうな、でもすごく近寄って見ていたいおじさん。
それが、子供のころの、香具師のイメージだった。
売っているものが、怪しければ怪しいほど、魅力的だった。
ずるをさているような、でもそれが楽しいような。
なんか、毒みたいな、蜜みたいな、そんな感じ。

この本を読んでも、やっぱり、香具師のひとからは、アンダーグラウンドな香りがする。
アンダーグラウンドなだけに、その組織力はすごくきっちりしてるようだ。
まさに、仁義、礼儀、の世界。というとちょっと違う方向に聞こえるとすれば「情」というのに置き換えようかな。

道でなにかをやっている人は、みんななんとなく、ちょっと亜流で、志は一流で、とても魅力的だった。
いまは、ホントの香具師は少なくなっているようで、ちょっと淋しい気がする。

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2006/08/25

どれほど本気の愛かなんて。

先日、ひたすら「せつないー」で中途半端になっていた「ニシノユキヒコの恋と冒険」。
あらためて少し感想をば。

かいつまんでいうと、ニシノユキヒコという憎めない女たらしのことを、彼と関わった十人の女性が語るお話。
風貌爽やかで、きちんとした仕事をしていて、なぜだかするりと女性の心にはいってきてしまう。出逢ったばかりなのに抵抗なく自分の部屋に入れてしまえる。女がいまこうして欲しいと思うことをさりげなくやってのける。そんな男。
ここまでは理想の男かもしれないけれど、彼はそういうわけで女のひとにはとてももてるので、いつも女の影がついてまわる。そして彼はそれをほっておかない。つまり、「私だけのアナタ」にはゼッタイになってくれないのだ。
それでも、ニシノユキヒコが、自分に本気なら、なんとか持ちこたえもしよう。ところが。
残念ながら、ニシノユキヒコは「本気」にはならない。なれないのだ。

私が、とめどなくせつなくなってしまうのは、そこのところで、
本気で愛してくれてない(でもとても優しくて行き届いている)男の気持ちをわかってしまう、女もせつないし
本気で愛せないと感じているニシノユキヒコも、とにかくせつない。

自分で、自分の本気でない姿を確認してしまうことほど、せつないことはないんじゃないの。
「本気になりたいよう、なりたいよう」と心で泣いたまま死んでしまう、死んでからも「やっぱり、だめだったよぅ」と女のもとに報告に行ってしまうニシノユキヒコが、私にはとてもせつなかった。

本で読んだり、あるいは友人がこんな男にひっかかっていたりしたら、即座に「なんてオトコよっ!」と撃退しそうだけれど、いざ自分の前にこんなのが現れたら簡単に、コロっといっちゃうかもしれないなぁ私は。
泣き笑いの顔で「なぜ僕は本気で愛せないんだろう」と言われたら「ほんとにそうねぇ、愛せなかったねぇ」などと姉みたいな気持ちでアタマをなでなでしちゃうかも。

でもほんとうのところ、世の中のかなり多くのひとが「自分は本気で愛せない」ことを感じとっていて(あるいは、ホンキって、そもそもどういうもの?とか)、なにか半分欠けたみたいな気持ちでいるから、ニシノユキヒコが登場したんだと思う。
共鳴してしまう私にも、そういう部分があったのかもしれない。
それは、やっぱり、とっても、 せ つ な い 。
…恐れは。乗り越えなければいつまでも、せつないまま。

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2006/08/22

せつないー。

なんでかというと、「ニシノユキヒコの恋と冒険」(川上弘美)を読んだからです。
なんとなく、すごい良かったの、それで、読んで、自分につながるいろいろなことを想起したから。
ま、ストーリーとはあんまり直結しないんですけど。
私は本を読んでも、かなり自分勝手にいろんなことを連想してそれが楽しかったりするのですが、読書としては邪道かもしれませんね。
でも、なにかの刺激を受けて自分から発し、自分に帰結してゆく、そういう過程をたくさんくれる本が、私は好きだったり。
この本も、そういう意味でも、とても好きです。
よくわかりませんが、そういうわけで今日はなんだかせつないので、この本のちゃんとした(?)感想はまた機会があったなら書こうかと思います。

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2006/08/16

アルゼンチンババアその2

先日ニッキにも書いた「アルゼンチンババア」。
読んだ時は、ほんの数時間で読了してしまったのですが、読みながらつらつらと自分に照らし合わせて思いついたこと、読んだあとに思ったこと、それぞれが私にとって、とても深いもので。
よしもとばななさんて、なんかスゴイなぁと思いました(←なんか小学生みたいでスミマセン・笑)

そもそも私は吉本隆明さん(ばななさんのおとうさんです)が好きで、学生時代なんかはもろに影響を受けておりました。(というか、「うけうり〜」ですわ)
内容をどれだけ理解してたかというと相当怪しいものですが、ばななさんがその吉本隆明さんの娘だと知った時はかなり衝撃でした。
だって、隆明さんの書いているものはかなり思想的なもの(といっていいのかな?)で、文章も難解だったし、方向性もかなり(当時の私にとって)トンでいた。
なのに、ばななさんのデビュー作「キッチン」は、けっこう軽く読めちゃって、セイシュンぽくて、とにかく全然性質が違っていて。
「ゲーッ!」と思ってその後の作品は読まなかった。
そもそも隆明さんのお嬢さんの名前が、たとえペンネームであっても、ばなななんて、許せないー!
ペンネームならなおさら、そのセンスはどうよ。
なんて思ってて、まぁ隆明さんに傾倒するあまり、思いっきり排除しちゃってたんですが。

数年たって、ふとした機会にばななさんの本を読んで、深かったんだーと思い。
我が身の視野と懐のの狭さを、大いに反省しましたわ。
とても心に響くものだったので。
なので、近年では良く読む作家さんのひとりになっております。
文庫化してからやっと読むくらいな私ですが、なので「アルゼンチンババア」もいまになって読んでるわけですが、これもまた、たくさんのことを私に考えさせてくれる作品でした。

映画化されるらしいですが、アルゼンチンババアは鈴木京香さんが演られるそうですね。
演技力ある方なのできっとすごくこなされると思いますが。
私の中では、木の実ナナさんのイメージでした(笑)

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2006/08/08

「アルゼンチンババア」に寄せる雑感

仕事の帰り、バスを待ちながら夕焼けを見ていた。
赤紫の空の色。刻一刻と変わっていく。
木々の間から見える空。
幻想的だなぁ。キレイだなぁ。
……なんか痒い・・・蚊にいっぱい刺されたー!
日常生活って、そんなだよねー。

でもってそんな帰り道「アルゼンチンババア」読破。
読みつつぽろぽろと思ったことたち。

亡くなったひとのことを思い出す時、私は首筋のうしろの印象が強くて。
そこからたちのぼる湯気のような、体温や湿り気や匂いや。あたたかさ、やさしさや。
宇宙とつながっているかのような「気」。
ときどきバフッと吐き出される、細かい埃のような真っ黒いかたまり。
ふりつもるそれらが見えて、私はそれが好きだったなあ。

終わっていく家といえば、今や私の父だけが住む私の実家は終わっていくのか。
そこが終わっていくのならば、そこで育った私は、他のどこからか始められるのか。

曼陀羅について、作中父が語った科白は、いままで私が曼陀羅について
あーでもないこーでもないと、長々と考え、まとまらなかったことを
スッキリと平易なコトバで伝えてくれた。
真実はだいたいにして一言で語れるものなのだ。

ほかにもつらつらと、たくさんのことを思いながら、読んだ。
とても深い物語だと、思った。

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2006/08/06

「ノラや」

犬が飼いたい、猫が飼いたいと思いながらやれマンションだから仕事がちだからと延しのばしにして数年になる。
その間、想いのたけをはらす(?)ところはもっぱら、人様のお宅の犬猫で、遊びに行くと思いきりかまいたくなる。
道ばたで猫に出あったりすると必ず呼び止めてしまう。
お散歩中、飼い主の都合で銀行やスーパーの外で待たされている犬にも、つい話しかけてしまう。

そうなるとつい思い出してしまう本が昔から何度も読んでいる「ノラや」。
内田百間(間の字は、「日」ではなく「月」だったと思うのだがパソコンで変換できなかったのでとりあえず失礼させていただくことにする)先生の作品なのだが、簡単にいうと、内田家にいついていたノラと呼ばれてた猫がある日突然姿をくらましてしまい、ノラやノラやと、毎日毎日猫の行方を追い求める話。
それはニッキになっていて、毎日のタイトルは月日ではなく「ノラ11日」「ノラ32日」と、ノラがいなくなって何日目、という日付けの付け方なのだ。
単純にいえば、ノラは今日も帰ってこない、ってことを毎日書いているのだが、そのエピソードの膨らまし方、筆致の流麗さたるや全く飽きさせず一気に読めてしまうほど。
なにより、知性品性威厳のある百間先生が、ノラやノラといいながら、縁の下や植え込みの中を毎日のぞきまわっている、その姿を想像しただけで、クスリと笑えるではないか。

百間先生は 明治の、日本の正しい男子であったであろうが、その文章を読むにかなりおちゃめなところがあり、たとえば「御馳走帳」という作品では、ただひたすら食べ物の名前がたくさん出てくる。
うろ覚えだけれども、「さはら刺身 たひ刺身 生姜醤油。ふな刺身 辛子味噌…」みたいな按配で、とどのつまりは「食べたいなぁ」ということなのだが、当時は戦時中(か終戦後)で食糧難だったので、せめて文章で食べたいものを書き連ねて満足しようかしらんということだったらしい。
ああ、食べたい食べたいといっては、書くことで満足させてたなんて、カワイイではないか。
ここでもまたクスリ。

でもって、たしか「古池や…」の名句を読むにあたっては、「古池ってどんなのが古池だ?」と考えれば考えるほど(池の縁がぼろぼろなのかしらとか草がぼうぼうなのかなとか)可笑しくなってしまうとも、なにかで書かれていて
みんなが名句だと(たとえわからなくても)しみじみ観賞するような句で、笑っちゃうというところもまたおちゃめではないか。

想像力だけでも、そうとう物事は楽しめるのだ。
ま、妄想力と実行力はバランスよくなくちゃいかんと思うけど、私においては当分、ペットのいる暮らしに関してはプラン・想像しながら過ごして楽しみそうな予感。
ペットショップの前をふらふらしてたら、どうぞ笑ってください(笑)

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2006/07/22

なの。

本を読んでいたりすると、ものすごくイメージが想起されて、あっという間に音声香りつきで脳内映像化されてしまったりするものもあるし、どう理解しようとふんばっても、かけらも出てこないものもある。
これはひとえに私自身の経験やフトコロの深さがモノをいっているらしい。

今日、電車の中で向田邦子さんと中川一政さんの対談を読んでいた。
対談なので、もちろん話しコトバでつづられているのだが、中川さんはしきりに「〜なの」と連発していらっしゃる。(「イタチ捕りに間違えられたの」とか「本当なの」とか)
国際的な画家で、なんだか怖いイメージのある(画風も情熱的だし)中川さんが、そんなふうにお話になるとは。
そう思ったら対談の中身などアタマにはいってこない。
「〜なの」といっているときの中川さんの声のトーンとか、イントネーションとか、どんなだったのだろうといくつも(思いつく限り)パターンを考えてみるけれど、どれもヘンで、しっくりこない。
そしたらそのうちに、対談の中で「(中川さんの)お年は88ですね」という会話が出てきた。
とたんに、「あーそういうおじいちゃんいるいるー!」とストンとはまってしまった。

こんなことでストンときてしまう自分の浅さにガッカリしながらも、そういう視点で読んだらすんなり内容もアタマにはいってきた。
いつどこで自分の経験不足思慮の浅さを補っていただけるかわからない。

こんな風にして、いままで「寝ていたコトバ」がにわかにむっくりと「起き上がってくる」瞬間は、なんとも楽しいものだと思う。

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